6年ぶりのアルジェリア

2019年12月25日にタッシリナジェールの都市であるジャネットに着いた。6年ぶりのアルジェリアだ。オアシスの砂道を久しぶりに歩くと、たくさんの女性たちと再会して家に招かれた。お茶を飲みながら、彼女たちは「どうしてもっと早く来なかったのよ」と少し問い詰めるように尋ねた。私は、「それは長い流れだった」と苦笑した。

2011年にカダフィ政権が崩壊された後、イスラム過激派テロ組織の攻撃が活発し、リビアの隣にあるマリ、ニジェールとアルジェリアのサハラ一体が外務省により危険地域に指定されてしまった。その影響で私はラクダ使いのハマニと一緒に2006年に創立した遊牧民を支援する会=「サハラ・エリキ」のツアー活動を中断し、日本で起きた福島原発事故の取材に力を入れた。同年、ジャネットで長年続いた干ばつの影響で「ラクダオーナープラン」で集めた15頭くらいのラクダは死んでしまい、私はしばらくサハラ・エリキの活動は復活できないことが分かった。しかしまたどうしてもアルジェリア へ行きたいので、2013年1月に私は東京で取得した観光ビザでジャネットそしてタマンラセットへ向かった。しかしちょうどその時に、ジャネットより400キロ北にあるイナメナス(Inamenas)のガス施設で「アルジェリア人質事件」という日本人も大勢犠牲になった最大のテロ事件が起きて、その後しばらくビザを取得することができなかった。

2019年の春、私はサハラ砂漠での観光は少しずつ復活していることを聞いて、サハラ・エリキのツアーを再開するためにジャネットの様子を見に行きたいと思った。タイミングがよく、その時に日本のトラベル雑誌=TRANSITからトゥアレグ族を取材したいという依頼が突然舞い込み、私はコーディネートと通訳を兼ねてアルジェリア に案内することになった。しかし、雑誌の日程に合わせて僅か15日間でアルジェリア のビザを取得するのは無理だった上、アルジェ首都で大規模の反政府デモが発生した。アルジェから2400キロも離れているジャネットではデモなどまったくないが、乗り継ぐために通らなければならないせいか、私たちの入国が断れた。初めてビザを拒絶される私はショックを受けた。

実は、その年にビザ申請の問題ばかり起きて領事館もう行かないくらい手続きに疲れていた。アルジェリアは失敗した後、来日するトゥアレグのバンド、タミクレストのアーティスト・ビザの申請のために1ヶ月くらい必死になって領事館と再び交渉した(エリキ・ニュース)。アルジェリア、日本、ヨーロッパのシェンゲンビザも皆、納得できないルールを作る上、各大使館によって独断的にそのルールを解釈し実行していた。このますますグローバル化した世界はむしろ封鎖に向かっていたせいで、ビザ取得は悪夢の手続きになっていた。そんな暗い思いをしている私はしばらく大使館と関わりたくないと思った頃、溝口さんという方からサハラ・エリキにメールを寄せた。

世界遺産を回る彼が10年前からタッシリ・ナジェールに行く企画を立てて、不成功だったと言う。そして今回はラストチャンスと考えてサハラ・エリキにお願いするしかないと何回も繰り返した。私はアルジェリアのビザが取れるチャンスが僅かしかないと説明する間もなく、溝口さんはパスポートのコピー、往復航空券、アルジェでのホテル予約、日程表、それに彼に同行したい2名のリストを送ってきた。私は仕方がないから、トゥアレグの友達に頼んでアルジェリアのビザを申請する違う方法を探った。それはアルジェリアの外務省に書類をまず送ってから、日本のアルジェリア の領事館にビザを申請するという新しい作戦だった。日程表、証明書、招待状など山ほどの書類を集めてから約1ヶ月も結果を持った。そして、2019年12月末の出発、私、溝口さん、他に2名のビザをぎりぎりに取得できた。まさに奇跡だ。

2月27日の朝4時半頃に、溝口さんが二人の友人を連れてジャネットに到着した。日本から長い旅だが、アルジェで一泊したため時差はあまりないという。「やっと着きました!」と繰り返す皆さんは何よりビザの手続きが終わって無事に着いたことでわくわくしているのだ。しかし、私はスーツケースを待っている間に、あまり嬉しくない知らせを伝えた。皆が応募した岩絵を巡るタッシリ台地のツアーはどうしも実現できないのだ。リビアと接する世界遺産のタッシリ台地は、2011年から立ち入り禁止区域から解消されていたが、外国人の観光客が軍事エスコートと同行しなければ行けないことになっていた。しかし、その軍事隊はどうしても取れない状況だった。「今回のエリキツアーを現地でコーディネットしてくれる旅行社長は溝口さんたちが来るまでこの問題を解決できると思っていましたが、軍事隊は最低8名でないと同行しませんというばかりです。申し訳ありませんが、断念せざるを得ないと思います」。溝口さんは残念そうに言った。「タッシリ台地にアルジェリア人の観光客なら普通に行けるのにどうして!」。彼が最終的に、「軍事のためにお金を払っても良いからもう一度トライしてみて下さい」と頼んでいたが、旅行社長によればアルジェリアの軍やポリスに袖の下の金を入れたら送還されてしまうのでやめた方がいいと言う始末。このジャネットまで来たのに、ずっと行きたい何万点の岩絵が残されている「世界最大の野外美術館」であるタッシリ台地に行けないのはまさに悔しい話だ。だが、私は岩絵のもう一つの名地であるタジェラヒン(Tadjelahin) ならすぐ行けると言うと溝口さんが元気を取り戻した。「そうだ!そもそも私たちはアルジェリアのサハラ砂漠が見たいからここまで来たのだから、とにかくタジェラヒンに行けるなら行きましょう!」。そして皆はジャネットの宿で2時間くらい寝てから、さっそくランドクルーザーに乗ってジャネットから70キロにあるエヘレール(Eherir)に向かった。このオアシスで合流するトゥアレグ族のロバ使い、ガイド、コックとロバ隊と同行して、標高800mのタジェラヒン台地へ登る。そこは、私もまだ行ったことがない岩絵のメッカーと言われる秘境があった。

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